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東京地方裁判所 昭和29年(行)13号 判決

原告 篠田竜夫

被告 杉並税務署長

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

当事者双方の申立並びに事実上の主張は別紙記載の通りである。

(証拠省略)

理由

一、請求原因(一)記載の事実は当事者間に争いないところである。本件における争点の第一は、右被告のなした決決において、被告は昭和二十六年中における原告の事業所得を金一六、五〇七、五九七円と認定し、本件において右認定は正当であると主張するのに対し、原告は同年中の原告の事業所得は金一〇、四五八、八八八円の欠損となつている旨主張する点にあるから、以下同年中における原告の事業所得の有無について考える。

二、そこで先つ、原告の右事業内容について考えるに、成立に争いない乙第五ないし第七号証、同第十二号証、証人加藤国治の証言により真正に成立したと認められる乙第二号証、証人斉藤恒民の証言により真正に成立したと認められる乙第一号証、同第九、第十号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第八号証(但し、同号証のうち原告作成部分については成立に争いない。)及び証人小松信之助の証言を綜合すると、(但し、証人小松信之助の証言中、並びに、乙第九、第十号証の記載中左記認定事実に反する部分を除く。)左の事実を認定することができる。

昭和二十六年五月頃訴外小松信之助は米国の法人訴外ルースメードの日本における事実上の代表者として訴外中西伸次に対し日本国内においてタングステン鉱石の買付の仲介を依頼し、中西はその依頼にもとずいて原告よりルースメードに対する右鉱石の販売を斡旋し、その頃から同年中引続き原告とルースメード間の右鉱石の売買は継続して行われた。その売買の方法は、原告が鉱石を集荷するとその種類重量を中西又は小松に通知し、小松の指定した場所に原告が鉱石を搬入して引渡をなし、代金は小松から中西を通じ大部分は前払として支払はれた。右売買契約については契約書等は一切取交わさず、又、引渡場所における数量の確認、引渡した鉱石の品位の検定等はルースメードにおいて一方的になし、原告はこれに立会い確認することができなかつた。代金額は同年中における取引を通じ、暫定的にフエロタングステン鉱石(以下FEWと略称する。)が純度七〇%を基準として一トン当り金二、〇〇〇、〇〇〇円、メタリツクタングステン鉱石(以下MEWと略称する。)が純度九〇%を基準として一トン当り金二、五〇〇、〇〇〇円とし、右純度一%増す毎に一トン当二万円ないし三万円増額され、その支払代金額は市場相場或は原告の実際の仕入価格によつて特に左右されることはなかつたが、反面、右鉱石の品位の確定には相当日時を要するような関係もあつて、常に原告が引渡した鉱石に相当した金額が支払われないこともあつた。

しかも、当時右鉱石は需要度が極めて高く、その相場の変動も激しい商品であつたこと、或は、原告が売渡した鉱石の中にはタングステンの含有量がルースメードの要求する割合(FEWにつき純度七〇%以上、MEWにつき純度九〇%以上)以下のものがあり、かつ、前記の通りその含有量の検定に相当日数を要した関係上、同年中における原告の売渡鉱石約二〇〇トンのうちその半量約一〇〇トン以上のものが同年十二月頃に返品されるような事情もあつたため、その後、昭和二十七年九月に、小松、中西、原告の間において、右昭和二十六年中の売買も含めて、原告の売渡価格をFEW純度七〇%のもの一トン当り金二、一五〇、〇〇〇円、MEW純度九〇%のもの一トン当金二、六五〇、〇〇〇円を基準価格として右取引の清算をする旨の合意が成立した。

三、右認定の事実関係によると、昭和二十六年中における原告のルースメードに対する鉱石の販売は、暫定的な販売価格でなされていたとはいえ、売買契約たるの本質を失うものでなく、代金支払時期について特別な約定があつたと認められない本件においては原告は鉱石引渡と同時にその代金を請求し得る債権を取得し、その債権は確定したものというべきである。

所得税法上課税の対象となる事業所得とは、当該年中における事業による総収入金額から必要な経費を控除した金額をいい、その総収入とは現実に収入した金額のみならず、既に確定した債権についてもその額を見積つて収入として算入すべきものであり、当該年中において契約当事者間においては債権の額が未確定な場合においては客観的に適正な時価を標準として算定すべきものと解すべきである。

ところで、前記の如く、原告は昭和二十六年中において既に確定したルースメードに対する鉱石売買代金請求債権を有したのであるから、その債権は同年中の収入として加算すべきものであり、ただ、その売買代金額が同年中においては契約当事者間において最終的な確定をみるに至らなかつたものであるけれども、翌二十七年九月に至り契約当事者間において最終的に確定する合意が成立し、その合意にかかる価格は前掲各証拠によると客観的にも妥当な価格であることが認められる。

しからば、右昭和二十七年九月における合意価格をもつて同二十六年中の原告の鉱石売買による収入を算定することは何等不当なものではない、

四、そこで右合意による価格を以て計算すると、純分量一ポンド当り単価は、FEWは金一、三九六円、MEWは金一、三三八円となり、原告が昭和二十六年中にルースメードに対して売渡した鉱石(返品分を除く)はFEW七六・六七五トン(ポンド換算含有量(純分量)は一二七、〇一四、七三二、七ポンド)、MEW三・四六三トン(ポンド換算含有量(純分量)七、二〇二、九一七ポンド)であることは当事者間に争いないのであるから、その売上金額はFEW金一七七、三一二、五六六円、MEW金九、六三七、五〇二円合計金一八六、九五〇、〇六八円となり、(以上金額の計算は円未満切捨)この売上金額による原告の昭和二十六年中の事業の収支計算は左の通りとなる。

収入の部(円)              支払の部(円)

(イ)売上 一八六、九五〇、〇六八 (ニ)仕入 二〇八、七三六、六四五

(ロ)雑収入  一、四九二、八一二 (ホ)経費   五、五五二、九三一

(ハ)在庫品 四二、三五四、二九三 (ヘ)利益  一六、五〇七、五九七

計     二三〇、七九七、一七三 計     二三〇、七九七、一七三

(右表中、雑収入、在庫品、仕入及び経費の各金額は当事者間に争いない。)

五、よつて、昭和二十六年中の原告の所得につき、前記鉱石売買による利益金一六、五〇七、五九七円を事業所得と認定し、これと当事者間に争いない同年中の原告の利子所得金三、〇三五円、給与所得金六八、〇〇〇円との合計金一六、五七八、六三二円を原告の総所得金額となした被告の認定は、何ら違法なものということはできない。

六、次に、無申告加算税の課税について、原告は無申告について正当の理由があると主張する点について考えるに、前認定の如く、原告の昭和二十六年中の事業については所得があつたのであるから、その事業について、仮に原告が欠損を生じたと思つていても、このことのみを以て無申告についての正当理由となすことを得ないい。何となれば所得税法上の課税対象たるべき所得とは、客観的に適正な所得であつて、納税者の主観のみによる損益によるべきでないからである。その他に、原告の右無申告につき正当理由があつたと認めるに足るべき証拠はない。

七、以上説示した如く、被告が原告の昭和二十六年度中の所得税について、冒頭認定の昭和三十一年八月二十八日付で訂正した後の決定は、原告の総所得金額の認定も相当であり、これに対する所得税額及び無申告加算税額の算定も、所得税法の各法条に則り適式に算出されたものと認められるから、被告の為した本件決定は何ら違法な点はなく、従つてこれが取消を求める原告の請求はその理由なきに帰する。

よつて原告の請求はこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 地京武人 石井玄 越山安久)

(別紙)

一、請求の趣旨

(一) 被告が昭和二十八年四月三十日付でなし昭和三十一年八月二十八日付で誤謬を訂正した原告の昭和二十六年分所得税の総所得金額を金一六、五七八、六三二円とし、所得税額金八、九二二、八八〇円及び無申告加算税額二、二三〇、五〇〇円を賦課する旨の決定は、これを取消す。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

三、請求原因

(一) 被告は昭和二十八年四月三十日付で原告の昭和二十六年分所得税に関し東京国税局収税官吏の調査に基き次表当初決定額欄記載のとおり決定し、同年五月一日原告に通知した。

そこで原告は同月三十日東京国税局長に審査の請求をしたが三カ月を経過するも右局長は決定をしない。その後昭和三十一年八月二十八日付で被告は右決定には誤謬があつたとして次表訂正額欄記載のとおり訂正した。

当初決定額(円)     訂正額(円)

1 総所得金額

給与所得           六八、〇〇〇     六八、〇〇〇

利子所得            三、〇三五      三、〇三五

事業所得       一七、六五〇、七三一 一六、五〇七、五九七

合計         一七、七二一、七六六 一六、五七八、六三二

2 所得税額    九、五五一、五九〇  八、九二二、八八〇

3 無申告加算税額 二、三八七、七五〇  二、二三〇、五〇〇

(二) しかし昭和二十六年中原告に被告決定額のとおりの給与所得及び利子所得のあつたことは認めるが、事業所得については一〇、四五八、八八八円の欠損となつているから右給与所得及び利子所得を通算しても一〇、三八七、八五三円の欠損となり、同年中には所得がなかつたのであるから、所得税を納付する義務はなく、従つて無申告加算税を課せられる理由もないから、本件決定は違法であつて取消さるべきものである。

四、請求原因に対する答弁及び主張として被告の陳述した事実

(一) 請求原因(一)記載の事実はすべて認めるが(二)記載の事実は争う。

(二) 原告の事業所得認定の根拠は次のとおりである。

(1) 原告は昭和二十六年中に米国法人ルースメードとの間に同社に対しフエロタングステン鉱石(以下FEWと略称する)及びメタリツクタングステン鉱石(以下MEWと略称する)を供給する契約を締結したので、被告は原告に右契約から生じた利益及び雑収入を原告の同年分事業所得と認定した。その収支の計算は次のとおりである。

収入の部                 支払の部

(イ)売上 一八六、九五〇、〇六八 (ニ)仕入 二〇八、七三六、六四五

(ロ)雑収入  一、四九二、八一二 (ホ)経費   五、五五二、九三一

(ハ)在庫品 四二、三五四、二九三 (ヘ)利益  一六、五〇七、五九七

計     二三〇、七九七、一七三 計     二三〇、七九七、一七三

(2) 売上額算定の根拠

原告からルースメードに納入した鉱石はFEW七六・六七五トン及びMEW三・四六三トン合計八〇・一三八トンであつて、その純分量はFEW一二七・〇一四・七三二、七ポンド及びMEW七・二〇二・九一七、〇ポンドであつた右鉱石の価格は一トン当りFEWは純度七〇%を基準として二一五万円MEWは純度九〇%を基準として二六五万円と定められていた。この価格については契約当初ルースメードから原告に前渡金が授受された関係上、その計算のためFEW一トン当り一八三万円、MEW一トン当り二五〇万円と定められたが、それは仮定的なものであつて最終的には後日当事者間で協議して確定することになつており、昭和二十七年九月十日協議の結果前記のように確定したものである。

種類

トン数量

ポンド換算含有量

ポンド当単価(円)

売上金額(円)

FEW

七六・六七五

一二七、〇一四・七三二、七

一、三九六

一七七、三一二、五六六

MEW

三・四六三

七、二〇二・九一七、〇

一、三三八

九、六三七、五〇二

合計

八〇・一三八

一三四、二一七・六四九、七

一八六、九五〇、〇六八

註(I) 一トンは二二〇〇ポンドである。ポンド当り単価は次の算式から算定した。

FEW2,150,000円÷(2,200×0.7)=1,396(円未満切捨)

MEW2,650,000円÷(2,200×0.9)=1,338(  〃  )

(II) 売上金額も円未満切り捨てた。

(3) 雑収入は(イ)株式会社大東社に対する一〇、〇〇〇、〇〇〇円の融通金からの利子収入一、〇〇〇、〇〇〇円及び(ロ)中部紡織株式会社東京営業所からの手形割引料四九二、八一二円の合計一、四九二、八一二円である。

(4) 在庫品は仕入量((5)参照)より売却された八〇、一三八トンを差引いた量を在庫品と認定し仕入額をもつて評価したが、含有度の高いものから売却せられたものとして計算した。

(5) 仕入額は原告の取引銀行の保管する小切手の裏書から仕入先を探さくし、その調査から仕入数量、含有量及び金額を算出した。

(6) 以上のとおり原告は昭和二十六年中の事業所得として一六、五〇七、五九七円の所得があつたのであるから、原告の争はない前記給与所得六八、〇〇〇円及び利子所得三、〇三五円との合計一六、五七八、六三二円が同年分の総所得金額であつて、これより基礎控除額三八、〇〇〇円を控除した金額に所得税法所定の税率を適用して算出した税額八、九四四、三三〇円から源泉徴収済額二一、四四一円を控除した税額八、九二二、八八〇円の課税は適法であり、又申告の期間が三ケ月を超えるから当時施行中の所得税法第五七条第三項第六項、第五五条第三項により本税額の一、〇〇〇円未満を切り捨てた額に二五%を乗じて算出した無申告加算税額二、二三〇、五〇〇円もなんら違法ではない。

六、被告主張事実に対する答弁及び主張として原告の陳述した事実

(一) 被告主張事実(1)記載の原告の事業所得の収支計算のうち(ロ)雑収入、(ハ)在庫品、(ニ)仕入、(ホ)経費の額がそれぞれ被告主張のとおりであることは認めるが、タングステン鉱石の供給契約の相手方その売上額及び利益は争う。同(2)記載の原告の売却したタングステン鉱石がFEW七六・六七五トン、MEW三・四六三トン合計八〇・一三八トンでその純分量が被告主張のとおりであることは認めるが、単価及び売上金額は争う。被告主張の仮定的価格というのが契約時における価格であることは後述する。

(二)(1) 原告がタングステン鉱石を売渡したのは訴外中西伸次であつて、同訴外人が更にこれをルースメードに売却したのであつて、直接原告がルースメードに売渡したことはない。

(2) 価格はFEW含有度七〇%のものを基準として一トン当り一八三万円、MEW含有度九〇%のものを基準として一トン当り二五〇万円とするものであつて、被告主張のように仮定的ないし暫定的な価格ではなかつた。

即ち昭和二十六年五月原告は中西より同訴外人がルースメードに供給するタングステン鉱石の注文を受け、次の要旨の契約を締結した。数量は二〇〇トン、品位はFEW含有度七〇%以上、MEWは同九〇%以上、価格はFEW七〇%を基準として一トン当り一八三万円、MEWは九〇%を基準として二五〇万円とする。右契約成立当時においては数量及び引渡鉱石の品位が未確定のためその売上額も未確定であつたが、引渡数量及び品位が確定すれば売上額も当然確定できるものであつた。

(3) 原告は同年十二月頃までに右契約に基きタングステン鉱石一九一・五二五トンを中西に納入したが、中西は前記契約の趣旨は平均品位でなく個々の鉱石の品位がFEWは七〇%以上、MEWは九〇%以上のもののみを購入することにあつたとして、検査の上右品位未満のもの一一一・三八七トンを返却し、品位七〇%以上のFEW七六・六七五トン(平均品位七五、三%)九〇%以上のMEW三・四六三トン(平均品位九四、五%)合計八〇・一三八トンを受領したもので、右契約による売上額は次のとおりポンド当り計算方法により一五九、九八三、五八三円と確定したのである。

種類

トン数量

ポンド換算純分量

ポンド当単価(円)

売上金額(円)

FEW

七六、六七五

一二七、〇一四・七三二、七

一、一八八

一五〇、八九三、五〇二

MEW

三、四六三

七、二〇二・九一七、〇

一、二六二

九、〇九〇、〇八一

合計

八〇、一三八

一三四、二一七・六四九、七

一五九、九八三、五八三

(4) 従つて原告の昭和二十六年の事業所得の収支計算は次のとおり金一〇、四五八、八八八円の欠損となり、前記給与所得六八、〇〇〇円及び利子所得三、〇三五円、合計七一、〇三五円を通算しても一〇、三八七、八五三円の欠損となる。((ロ)雑収入、(ハ)在庫品、(ニ)仕入、(ホ)経費は被告主張額による)

売上 一五九、九八三、五八三 仕入 二〇八、七三六、六四五

雑収入  一、四九一、八一二 経費   五、五五二、九三一

在庫品 四二、三五四、二九三

一〇、四五八、八八八

計  二一四、二八九、五七六 計  二一四、二八九、五七六

(三) 前記価格は確定的なものであつて、被告主張の如く、仮定的ないしは暫定的に定められたものではない。

(1) その後昭和二十七年四月より原告は東京国税局の職員の査察を受け同年九月中査察官より原告、ルースメード代表者小松信之助及び中西に対し本件取引価格を一トン当りFEW品位七〇%を基準として一九八万円、MEW品位九〇%を基準として二六五万円程度に改訂するよう勧告されたので、右三者間に於て(イ)ルースメード、中西間のFEW二〇〇万円、MEW二五〇万円をそれぞれ二一五万円、二六五万円に、(ロ)中西、原告間のFEW一八三万円、MEW二五〇万円をそれぞれ一九八万円、二六五万円と改訂した事実はあるけれども、これは前記のとおり当事者間において確定していた価格を合意で変更したものであつて、当初不確定なものを確定したものではない。従つて若し右改訂による増加益に課税するとすれば右事実の発生した昭和二十七年分として課税すべきものであつて、昭和二十六年分の所得に加算さるべきものではない。

(2) このことは売買の当事者の利害関係が対立する経済上の取引において、契約成立当時価格を決定する方法も定めないで漫然と後日当事者間で協議して定める清算価格によるというが如きは、常識上考えられないことであつて、契約成立の時に価格を決定することが困難であつても、これを確定する方法を定めるのが通例であることから考えても自明のことである。一般に概算取引というのもこのような場合に概算価格を払渡す取引をいうのである。

(四) 仮りに本件取引が被告主張のとおり契約成立当時価格を定めないで、単に後に協定する価格によるという趣旨のものであつたとしても、右協定価格による売上額は昭和二十六年分の収入金には該らない。

(1) 前記のとおり原告が本件取引の相手方たる中西との間に価格を決定したのは昭和二十七年九月であつて、昭和二十六年分所得税の確定申告期限までに定まらなかつたのみならず、その交渉さえ行われていなかつたのであるから、納税者たる原告としては一応既に受領した概算金額を収入金額として所得額を計算するの外はないのである。

(2) 勿論所得税法第九条第一項四号の「総収入金額」の中には「収入すべき権利」が包含されているけれども、ここにいう「収入すべき権利」とは金額及び履行期の確定した具体的権利のみを意味し、その金額及び履行期の不確定な抽象的請求権はこれを含まないものと解すべきである。なぜならば(イ)金額も履行期も定まらずこれを確定する基準もない請求権を法律上の債権ということができない。

(ロ) 私法上の取引が常に客観的に相当な価格でなされているということはできず、このような価格の調査を一般納税者に要求することは不可能であつて、結局事実に即しない納税義務を課し、最も厳正なるべき納税義務の範囲を不明確にする。

(ハ) 金額も履行期も確定しない抽象的請求権は行使することができないから、このような権利を課税の対象とすることはまだ負担能力を生じないのに課税することになつて応能負担の原則に反することになる。税務の実際においても国税庁長官の基本通達一九四号は「収入金額とは収入すべき金額をいい、収入すべき金額とは収入すべき権利の確定した金額をいうものとする」としてこのことを明らかにしている。

(3) 以上のような訳で本件取引における協定価格による売上額をたとえ取引が昭和二十六年中になされていたとしても原告の同年分の収入金額とし、申告期限までに定まらなかつた協定価格を一方的に規定して申告すべきものと解することは所得税法第九条第一項の解釈としても許されないのみならず、納税義務を法律で明確に定めることを要すると規定した憲法第三〇条第八四条の趣旨にも反することになる。

(五) 仮りに前記原告の主張が理由なく改訂額による売上金額が昭和二十六年分の収入金額として計算されるべきものであるとしても、原告は無申告につき正当の理由があるから、無申告加算税の課税処分は違法である。即ち原告としては前記のとおり所得税法第九条第一項の文理上当然の解釈により昭和二十六年中に受領した金額を総収入金額として計算し、欠損を生じたので申告しなかつたものであるから、納税者として過失もなく従つて税法違反の責任を負う理由はないのであるから、同法第五六条三項の無申告について正当の事由がある場合に該当する。

なるほど所得税法第五七条三項の無申告加算税は刑罰ではないけれども不当利得返還の性質を有する同法第五五条の利子税の外に無申告加算税を課するのは、行政犯に対する秩序罰たる性質を有することは疑いをいれないところ、秩序罰も原則として故意あるか又は少くとも過失ある場合に限りこれを課すべきものであつて、過失もないのにこれを科することは明文の定めある場合に限り許されるものであるが所得税法第五七条第三項においては申告しないことについて正当の事由のない場合にのみこれを課することとしているのであるから、過失なくして申告しなかつた場合はこれを課さないものというべきである。

七、原告主張事実及び法律上の見解に対する答弁として被告の陳述した事実

(一) 本件取引は最低の暫定価格を定め確定価格は他日時価を基準として決定する旨の契約であつた。

凡そ商品の売買の場合に、当事者間に、何等代金の定めない場合であつても、これを確定し得べき状態にあればその売買は成立することは大審院判決の示すところである。(判決録第二七輯五一四頁)。なるほど本件の場合は一応の定めはあつたが、それは、最低額を暫定的に定めたものであつて、確定的代金の定めはなかつた。しかし、商品の売買の場合に当事者間に何等代金の定めのない場合は吾々の日常生活において常に経験するところである。

例えば家庭の主婦が日々の生活必需品を取引関係のある商店に注文する際に必ずしも一つ一つ代価を確定した上で注文するものではない。

かかる場合の当事者の意思は、時価相当額で取引する意思である。又例えば、買主の商品に対する主観的意慾強く、代金の如何は時価相当額でさえあれば問題としない場合の如きである。しかるに、本件の場合は後述するような特殊の事情のもとになされた契約であるから、苟も時価相当額でさえあれば、代金の如きは予め確定する必要なく、否、むしろ確定せしめない方が、売主たる原告の方の利益をよう護する所以であつたから確定価格を以て契約しなかつたのは当然であつた。ことに、本件鉱石の供給契約は、一個の物件の売買契約とはこと変り、比較的長期にわたつての供給契約であつたから、その間に、商品の時価に変動(騰貴)を来す可能性があつたから、予め確定することは出来ない事情があつた。

(二) 本件取引は極めて特殊な事情のもとになされたものであつて、通常の取引とは異り、後に協定する価格によるという契約も不自然ではなかつた。

即ち、タングステンは戦略物資として必要不可欠のものであるが、その生産量は極めて少量で世界的に不足している状態であるが、たまたま昭和二十五年朝鮮動乱が勃発し、急速にこれを入手することを必要としたアメリカ国防省当局は、タングステンの産地たる東洋においてこれを蒐集する方針をとり、ルースメードをしてこれに当らせた。ルースメードは更に日本における同商社の代表者小松にこれを委嘱し小松は知人で親密な間柄にある中西を仲介人として原告にこの蒐集を依頼して本件契約を締結した。このような特殊の事情があつたので本件契約は蒐集の中心人物たる原告に極めて有利な条件のものであつた。従つて目的物の価格もあらかじめ一定の価格をもつて原告を拘束することは他日仕入価格の値上り等によつて原告に不測の損害を蒙らしめることをおそれ、最初は仮定価格をもつてこれを定め、後日協議に依つて原告に適当な利益を供与する方法で最終価格を決定する約束であつたことは前記のような特殊の事情のもとにおいてはむしろ当然であつた。

このことは次に掲げる本契約に附随する特殊事情と綜合すると更に一層明瞭となる。即ち(イ)本契約の目的物の価格は何億円という莫大な金額にのぼる契約であるのに契約書が交換されず単なる口頭の約束であつたこと、(ロ)本契約が莫大な金額にのぼる鉱石の供給契約であるのになんらの担保もとらないで合計数億円の前渡金を交付したこと。これらの事情を考えると、本件契約において価格を後日協定で定めるとしたこともなんら不自然なことではなかつたのである。

(三) 昭和二十六年中に発生した代金債権はこれを同年分の収入金額に加算すべきであつて、若しその金額が確定しない場合にはこれを見積つて加算すべきである。

(1) 即ち我が所得税法は所得の計算上は現金収入主義ではなく権利発生主義を採用しているのであるから、代金債権の発生した以上は収入金額に加算すべきは当然であつて、もしその金額が確定していない場合はこれを見積つてこれを収入金額に加算すべきものである。したがつて前記の協定によつて定まつた価格のうち概算価格を超過する部分も、原告が昭和二十六年中に供給した鉱石の代金の一部であるからこれを同年分の収入金に加算することはなんら違法でない。

なお本件取引においては原告は同年中に目的物の引渡を了し且つ代金は事前に弁済をうけており単に金額だけが確定していないだけであつて、その価格も時価を標準として協議のうえ決定するという合意があつたのであるから、全然代金確定の基準がないということはできず、昭和二十七年二月の確定申告期限までに確定することは不可能ではなかつたのである。

なお本件更正決定が昭和二十八年四月になされた際には昭和二十七年九月には既に確定していた最終価格を基準として代金請求権を評価したことは当然である。

何となれば所得税法は、毎年一月から十二月までの所得を計算して申告納税する制度であるから、この計算を不当として更正決定をする場合も同様な計算方法によれば充分であつて、確定申告当時の現況を基準として更正決定をしなければならないといふ理由はなく、更正決定の当時既に明らかとなつていた時価を基準として代金請求権を評価することは毫も不当ではないからである。

(2) 収入金に加算すべき財産については所得税にはなんら規定しておらないけれども、西ドイツ所得税法第八条第一項には「収入金とは金銭又は金銭価値を有し且つ第二条三項四号ないし七号に掲げる種類の範囲において納税義務者に帰属する一切の財貨をいう」と規定してあつて、いやしくも金銭又は金銭価値を有する財貨であれば悉く収入金を構成することを明らかにしているが、我が国においてもこれと同様に解する外はない。従つて金額及び弁済期が確定しない請求権であつても金銭価値を有するものであるからこれを収入金に加算することは毫も不当ではない。(ミルレードロイター共著法人税法三九五頁三九六頁参照)

たゞかういう場合の代金の見積りは、目的物の時価を標準として計上すべきであることはブリユーミヒリフアルクも説明する通りである(ブリユーミヒリフアルク著所得税法一九五五年版三九四頁参照)。けだし、若し商品を売却しても代金の額が定まらないからという理由でこれを収入に計上しなかつたとすれば、商品は既に引渡され買主の所有に帰しているから、売主の財産はそれだけ減少しているにも拘らず、これに代るべき代金請求権の計上がないことになつて、その年度の損益計算には商品の引渡しだけが損金に計上され、これに代るべき代金請求権が益金に計上されない結果となり、その結果は益金は実際以下に計上され、これと反対に、翌年度において代金が確定した年度になつて代金請求権だけを計上する結果翌年度は、益金は実際以上に多く計上されるという不都合の結果となり不当な益金計算となるからである。

(四) 所得税法が無申告加算税を課税するのは税法違反に対する刑罰の意味において課するものではないから、脱税の意思がないことを理由にこれを免れることはできず、正当の事由が存する場合の外はこれを課すべきものであるが、税法を誤解したことをもつて無申告につき正当の事由があつたということはできない。なぜならば税法の誤解を生ずる範囲は極めて広く、いかなる場合にもこれを利用することができるからこれを許すとなると無申告加算税の制度は空文となる。

八、被告主張の原告の答弁として陳述した事実。

(一) 被告主張の七の(二)の事実中イロの事実は認めるがその余はすべて争う。

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